東野圭吾氏のガリレオシリーズ最新刊、「真夏の方程式」を読む。が、読後感がスッキリしないんだよね。釈然としないというか。
そもそもミステリーってなんでエンタテイメントとして成立するかというと、「物事や人間関係が解決される」カタルシスというか開放感というかスッキリ感があるからだと思う。まあ実生活では解決されることはないからみんなストレスが溜まり、憂さ晴らし?としてミステリーを読むのではないか、というのが私の説なんだけど、そういう意味での「スッキリ感」がない。釈然としない。
はっきり言えば、ミステリーじゃなくて「普通小説」(変な言い方)としてはアリなんだろうけど、それを求めて読んではいないからね~。
<ここから物語の核心に触れる表現があります>
なぜスッキリしないかというと、「謎は解けた、しかし犯罪者が法律による罰を受けない」という結末にあるのでしょう。私から言えば社会的に罰を受けるというのはある種の救いになる。どんなことが公になり、罰を受けても、責任を取る、という意味では個人的にも救われると思うんだけどね。
で、この作品の登場人物たちって、いつまでたってもスッキリしないんじゃないかって感じてしまって、それがスッキリ感を損なっているのでしょう。
だいたい、ガリレオ先生、キャラ変わってるし。子供、相手にしてるし(子供ぎらいじゃなかったの?)、「容疑者Xの献身」では昔の友人の思いを振り切って「正しいと思うこと」を成したんじゃないの?
<以上で核心に触れる部分は終りです>
ということで非常に残念。というか税込み¥1,700なら¥1,200くらいは返してほしいと思ったのでした(文庫本で読んだんならここまでのガッカリ感はなかったかも)。