ハトコのたわ言

趣味に生きる隠居のたわ言集です

岡本太郎記念館に行ってみた(1)その前に『明日の神話』の実物を観に行く

 2023年備忘録シリーズはいったんお休みして今年観たものを先出し。

 先々週の金曜日、1月26日に南青山にある岡本太郎記念館に『明日の神話太陽の塔』展を観に行った。

 2022年秋に東京都美術館で『展覧会 岡本太郎』を観てから、少なからず私の中で岡本太郎熱に火が付いたんだけど、その時、川崎市岡本太郎美術館とこの岡本太郎記念館が多くの作品を貸し出してたのをチェックしていた(それについては下記記事参照)。

 なので、2023年には川崎市岡本太郎美術館には2度ほど行って、大変楽しんだんだけど(自転車で運動するにはちょうとよい距離だし、美術館がある生田緑地って夏に行くととても気持ちよいところなのに川崎市民にしかあまり知られていないらしく?穴場感あり/これについては別述予定)、岡本太郎記念館岡本太郎の自宅を美術館にしたものでそれほど大きくなく、それも自宅だったので「靴を脱いで上がる」系の美術館ということで後回しにしていた。

 なんだけど、現在やっている企画展『明日の神話太陽の塔』は是非観ておきたかったので、今回足を運ぶこととなった。

 

 一般には『太陽の塔』の方が圧倒的に有名だと思うけど、『明日の神話』もそれに並ぶ代表作とされているらしい。メキシコで発注されて1968-69年に制作されたんだけど、現地でいったん失われてしまって(依頼主で展示される予定のホテルが倒産)、太郎の死後2003年に『画家の岡本太郎のパートナーであり、養女。実質的な妻でもあった』(by Wikipedia岡本敏子が発見。その死後2008年に渋谷駅への展示へ展示され、で、昨年2023年10月から大規模改修に入り、しばらくは年に数度、足場をかけて修繕が行われるとのこと(この時は行われてなかったが)。

 というようなことは、『展覧会 岡本太郎』の時から知っていたんだけど、渋谷駅にあるという現物を観たことがなかったので、今回、岡本太郎記念館の前に観に行くことにした。

 正確にはJR渋谷駅ではなく、井の頭線渋谷駅の駅ビルである渋谷マークシティの2F、JR渋谷駅への連絡通路入口付近にある。この写真は当日の1月26日、3Fのエスカレーター踊り場から撮った前景。柱を見ずに絵全体を観ることがほぼ出来ないほど巨大なのには正直驚かされたともかくデカい!縦5.5m✕横30mあるらしい。

 ちなみに現時点では絵の左下にJRとの連絡通路があるが、渋谷駅全体が改造中なので将来的には真っ直ぐ奥の方に連絡されるように思える(調べたわけではないが)。

 

作品中央の核兵器で焼かれる人間。この絵の下を大勢の人が通るが、ほぼ誰もそれを意識してないだろう

 で、巨大な作品なんだけど、残念ながら上の方の写真で分かるように、近くでまざまざと観られない!なので材質の感じとか、凹凸とか(結構ある)が分かりにくい。

 元々パブリックアートを目的とした作品だから美術館ではなく市中に置くのはある面では正しいと思う。だけど破損や汚れを恐れて人の手が届くところに置かない=近くでまじまじと観られないのはそれはそれで問題ある、と私は思う。

 そこそこ安全で、じっくり観られるような場所が他になかったのか、と。

 で、実際はいろんな角度で写真を撮っていたんだけど、私以外ほぼ誰も太郎の作品を観ていなかった。

 絵の反対側には世界的に有名な日本のアイコンの一つ?の 渋谷のスクランブル交差点があり、絵の前で待ち合わせている人たちはだいたいそっちを見ている。

 そして、私もなんか居たたまれない、というかじっくり見ている行為自体が、なんか恥ずかしく感じられ(『美術鑑賞してます理解してます』みたいな鼻につく行為っぽいから?でもそういう私に注目する人がいるわけでもないのに)、たくさん写真を撮った割に作品自体をじっくり観られなかった。今思い出しても実に不思議な経験。

反対側。渋谷のスクランブル交差点。

 その後、半蔵門線表参道駅へ。

 地下鉄駅から地上に出ると、明らかに街の雰囲気が違う。日本の他のどことも違う雰囲気。街を行く女性とすれ違うと香水か化粧品の匂いがし、太郎記念館の方に歩いて行くと、プラダのものすごい建物があったりする。

現代スイス建築を代表する建築家による店舗だそうだ。めちゃくちゃ斬新だけど、構造的に地震大国の日本で大丈夫かと、ちょっと心配になる。

 町並みはめちゃくちゃハイソな感じで、岡本太郎、どこまで金持ちだった?とか一瞬思うけど、太郎の両親は共に著名人(漫画家の岡本一平歌人・小説家の岡本かの子)で、父の岡本一平から相続した土地だそうな。戦前に買われた物だから、そもそも東京の中心でもなんでもなかったわけだし、今の青山とは全然違うんだろう。今は個人宅などほとんど残ってなく、裏道に入っても商業ビルか高級マンションだらけなんだけど。

 で、表参道駅出口からおよそ10分弱(距離的には600m前後)歩いて本題の岡本太郎記念館に着いた。

(次項へ続く)

2024/01/23『サン・セバスチャンへ、ようこそ』を観て

 先週の火曜(1月23日)、立川シネマシティにてウディ・アレンの『サン・セバスチャンへ、ようこそ』を観た。

 2017年発端のミア・ファーロウの息子からの言いがかり&蒸し返し事件から「干されていた」に等しいウディ・アレンの新作が日本で公開されたことは、ウディ・アレンファンの私(ほぼ全作観ている)としては実に喜ばしい出来事(それについては後述)

 この作品は(アレンの作品の中では)それほど傑作と言うほどのモノではないが、ちゃんと笑わせてくれるし楽しめる作品でもある(もちろんそれにはそれなりに知識や教養は必要だけどね)。

 以下ネタバレあります。(ネタバレが決定的な意味はなさないと思う映画だと思うけど念のため)

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 ちなみに原題は『Rifkin's Festival』。

 Rifkinというのは、映画学の教授で小説を書けない作家の主人公の名前。こういう映画のタイトルを日本語題にするのって本当に難しいとは思う。思うけど、ちょっと違うよな~とも思うんだよね。

 確かに『リフキン』と言われて人名(ユダヤ系?)だとすぐに分かる日本人は少ないし、サン・セバスティアン国際映画祭 (主演作が出品されたので大泉洋が2019年に訪れていたりする)の方が日本的には有名だとは思う。

 だけど、『フェスティバル』は彼の「脳内フェス」(フェリーニベルイマンなど様々なヨーロッパ映画のパロディ的引用で構成されている、主人公が夜な夜なうなされる悪夢)と、映画祭であるフェスのダブル・ミーニングになっているから、『サン・セバスチャンへ、ようこそ』としちゃうと意味が・・・

 まあ別案も浮かばないので、いかんともしがたい問題だとは思うけど。

 

 もとい。

 さて、この映画について語るなら、その「フェリーニベルイマンなど古典的な作品から仏ヌーヴェルヴァーグの作品などのヨーロッパ映画からの引用」部分に言及すべきなのかもしれないけど、正直、元ネタはそこまで分からない。死神のシーンがベルイマンからの引用だというのは、他のアレン作品でも出てくるので知っていたくらい。

 

 それよりも。

 この映画を観て思い出したのはアレンの『スターダスト・メモリー(原題『Stardust Memories』1980アメリカ/1981日本公開)。今から40年以上前の映画。

 アレンが映画監督として世に出たのは、『泥棒野郎』(1969年公開)から始まる『 ウディ・アレンのバナナ』『SEXのすべて』『スリーパー』など、ドタバタ色の強いコメディ。

 その後、コメディとシリアスな恋愛モノを融合させたロマンティック・コメディの代表的作品『アニー・ホール(1977アメリカ/1978日本公開、1977年アカデミー監督賞受賞作。私が最も好きな映画の1本で、コレを観てからずっと彼のファン)が転機となって、『インテリア(1978アメリカ/1979年日本公開、彼が初めて作った、当時の観客ドン引きするほどド・シリアスな作品)、『マンハッタン(1979アメリカ/1980年日本公開、再び大絶賛のロマンティック・コメディ。私も大好き)と続く。

 で、その次の作品が『スターダスト・メモリー』。

 なんで思い出したかと言えば、この作品も映画祭が舞台となっている(正確に言えば『スターダスト・メモリー』の方は、週末に都心近郊の避暑地で行われる、主人公である映画監督作品の『回顧展』的なフェスなんで、いわゆる『映画祭』とは違うっちゃ違うが)。

 そして映画そのものについての物語であると言うところ。

 さらに言えば『スターダスト・メモリー』は過去/現在/未来を象徴する3人の女性が出てくるんだけど、この『サン・セバスチャンへ、ようこそ』でも初デートの相手である義妹、映画広報担当の、そしてスペイン現地で知り合った女医と出てくるなど、割に対応している部分もあると思う。

 しかし。

 『スターダスト・メモリー』でアレン自身が演じている主人公と、この映画の主人公の立場は全然違う。

 前者の主人公は映画監督、この作品の主人公は映画研究家(大学で映画を教えている、っていう設定。映画の作り方を教えてるわけではなさそうで、映画の解釈とかそういうのを教えているんだろうな、と想像)

 前者は自作の映画について悩み、後者は小説が書けないことについて悩む。

 つまりこの作品の主人公は作る人(作れる人)ではなくて、評論する人。そこが決定的に違う。主役を諦めた、脇役的な人生。最後は、女医への執着?から降りているし。

 なんだけど。

 過去のアレンの作品で言えば、こういう作れない人に対しては突き放したり、割に冷たい描写をすることが多かったと思うんだけど、この映画はそうじゃなかったのにちょっと驚いた。

 作れない、評論家的な人生を送るこの作品の主人公の描き方がそれなりに前向きで暖かい。もちろんアレンの映画は肯定的な終わり方をする事が多いが、この映画を観た後の感じも非常に良かった。

 あと。

 『スターダスト・メモリー』では、宇宙人にすらドタバタ・コメディの「ファニームービーを作れ」と言われていた(自虐的に描いていた)アレンだけど、それから40年以上、ド・シリアスな作品もたくさん作ってきた。

 なので、ド・シリアスなヨーロッパの古典的作品から引用をしても、ちゃんと自虐的なネタとしても成立していて、40年以上の年輪を感じさせてくれた。

 

 あ、ちなみにAmazon資本で作った、『カフェ・ソサエティ(2016アメリカ/2017日本公開)でデジタル撮影になってから、映画館で観ても、なんかテレビっぽい平面的な画像になって閉口していたんだけど、この作品ではちゃんと映画っぽい、奥行きのある画像が復活していた。ここは今後に期待できる!(年齢的にあと何作作れるかどうかは不安だけど)

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 さてこれからは自分自身への覚書のようなモノ。

 日本語のWikipediaでは(2024.1.31時点)、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ暴露をきっかけに起きた「#MeToo」運動でハリウッドから干されていたウディ・アレンが、沈黙を破って自伝の出版を発表する』とあるけど、そもそもアレンはハリウッドだけで映画をとっていなかったので、明らかにヘンな内容。

 そもそも、ちょっと前からアメリカでは資金を出してくれる映画会社がなくなって、ヨーロッパの資本で映画を作っていたりした(アカデミー脚本賞を取った『ミッドナイト・イン・パリ』2011スペイン/2012日本公開ーですらスペイン資本。まあこれがヒットして、アメリカ資本に戻った)

 で、2015年くらいからAmazonが大々的に資本を出して、TV的なシリーズ作品も含めて再びアメリカでだけ撮影するようになったけど、2017年以降、#MeToo運動でAmazonと揉めて裁判になって『干された感じ』になった、というのが正しいと思う。

 ということで、分かってること時系列的に並べ直して記しておくことにした(自分でWikipediaを直すのも面倒くさいので)

■『カフェ・ソサエティ』 Amazon資本 2015撮影 2016アメリカ/2017日本公開

■『女と男の観覧車』 Amazon資本 2016撮影 2017アメリカ/2018日本公開

■『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』 Amazon資本

 2017撮影 2019海外/2020日本公開

 ※お蔵に入りかけ アメリカでは公開されず

  2017年秋#MeToo運動でAmazonが公開無期限延期

  Amazonが賠償金支払で和解 2019海外で公開開始

■『唐突ながら: ウディ・アレン自伝』(原題『Apropos of Nothing』)
 2018年~2020年執筆? 2020アメリカ/2022日本発売

※映画ではなく、本。Amazonとの裁判で映画制作が止まって時間ができたので書いたようである。私は買ったんだけど積ん読で未読。

■『サン・セバスチャンへ、ようこそ』本作

 2020撮影 2022アメリカ/2024日本公開

 ※もちろんAmazon資本は入らず。

  (以前のように)ヨーロッパの資本で作ったようである。

  上記の自伝のゲラを読みながら作っていたみたいな記述がある。

■『Coup de Chance』2022撮影 2023フランス公開
 ※全編フランス語の作品らしい。日本での公開は来年(2024年)だと思われる。

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 繰り返しになるけど。

 80歳を越える老作家に対して行われた、2017年くらいからの『言いがかり&蒸し返し事件』は本当にむごいと思う。毎年のように映画を撮ってきて、あと何作作れるか、という時期に行われた非道な仕打ち。

 アレンには、それを乗り越えて得られた残りの時間で、一作でも良い作品を撮って欲しいと私は心の底から願う。

 あと、自伝『唐突ながら: ウディ・アレン自伝』を早急に読まなければ!

サントリー美術館で『虫めづる日本の人々』展を観た/2023年備忘録シリーズ第2弾

その日のサントリー美術館の入口写真。展覧会場内の撮影は禁止。そういうのも敷居が高いと感じてしまうところ。こちとら年寄りなので、写真がないと展覧会の内容を思い出せない・・・

 

 前項に続いて、2023年備忘録シリーズ。

 前項の国立新美術館に行く前に、同日2023年7月28日(金)に観た、サントリー美術館での『虫めづる日本の人々』展に行ったことについて。

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 正直、日本美術 (変な言い方だとは思うが、明治期以前から続く書画骨董も含めたもの) は敷居が高くて敬遠して来たというのが正直なところ。

 山田五郎パイセンは、自らのYouTubeで『日本の美術教育で、絵の歴史を学ばないのはオカシイ (文脈的には西洋画の歴史) 』というような内容のことを言っていたが、日本美術の歴史はそれ以上に体系的に学ぶ、というか知る機会がない

 なんかそういうモノの愛好者たちから出し惜しみをされているようでもある (引き続き山田五郎パイセンからの引用を続ければ『目垢が付く』 [うわっ。なんてスノビッシュで不快な言葉!] とか言って本当に出し惜しみをする閉鎖的なカルチャーがあるようだし)。

 逆に、国内外の有名作家展覧会が絶え間なく開催されるので、西洋系絵画の方がまだ知る機会が多い。

 この項目を書くために、ちょっとWikipediaなどで調べてみたけど、自分の無知さがイヤになるし、どこから手を付ければ良いのかすら分からない。この展覧会でも展示されていた『浮世絵』系の作品と、いわゆる『日本画』 (文人?) 系の作品の間に差異というか距離があると感じるんだけど (ド庶民の私にとって文人画は鼻につくというか・・・) その理由もわからない。

 なのでこの際だからちゃんと『日本美術入門』的な本を探して勉強してみようとか検索してみると、縄文時代に遡られて語られてもな~という本ばかり。わざと親しみにくいように壁を作ってるんじゃないだろうか?とすら思えてくる。

 さらに脱線気味になるけど、 (美術史に限らず日本史関連って) なんで元号表記中心なの? 西暦既述優先の表記にして欲しい! 専門家じゃ無い限り知らんよ、そんなの!

 西暦表記中心なら、それが今からどのくらい前の話なのかとか、世界史的にはいつくらいのことなのかとか簡単に分かるのに、元号で語りたがるのはナゼ? 知ってるアピール? ホント不愉快。

 思わず激高してしまった。

 自分が無知なのを棚に上げすぎではあるけど、絶対壁作ってるし、壁作ってることに自覚がなさ過ぎなのも間違いないと思うね。

 もとい。

 この展覧会で展示されていた『胴長猫背6頭身の妖艶な美人画』を描く (今日的には美人の標準とはかけ離れている基準!) 渓斎英泉とか興味がわいたけど、ホント、なにから手を付けて良いやらワカランので、この半年、ほったらかし状態になっていた。

 ということで、2024年は日本美術入門的な本を地元図書館でまとめて借りて、入り方くらいは知ってみようと思った。そういう意味では備忘録シリーズのこの項を書く意味はあった!

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 ということだったので、日本美術中心のサントリー美術館に行くのは、赤坂見附時代も含めてこの時が初めて。都内の主要な美術館のほぼ全てを廻ってみたいという目標がなければ行かなかったと思う。子供の頃『昆虫博士』と言われた人間にとっては『虫めづる日本の人々』という題材は観てみたいとやや思えたし。

 なんだけど、残念ながら展示内容はほぼ忘れてしまった

 半年前だし、日本美術に関しての基礎的な知識もないし、写真も撮れなかったので内容を憶えようがない。

 わずかに当時書いた『日本画が (西洋画に比べて) 古色蒼然と見えるのは、掛け軸文化 (←お茶の文化?) があって、傷みやすいから余計にそう見えるのではないか』というメモが見つかったくらい。前売り入館料1,300円がほぼ無駄に・・・

 今となっては本当に残念

国立新美術館で『テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ』を観た/2023年備忘録シリーズ第1弾

ジョン・コンスタブル《ハリッジ灯台》。Wikipediaによれば『ターナーと並ぶ19世紀イギリスを代表する風景画家』だそう (私は知らなかったけど)。

 

 現時点(2024.1.17)で開催中で、私が観に行った展覧会はようやくなくなったので、昨年(2023年)に観に行った展覧会でまだ書いていないものについての、いわば『備忘録』シリーズ第1弾。

 ということで2023年7月28日(金)に観た、国立新美術館で『テート美術館展 光 ― ターナー印象派から現代へ』について。ちなみに大坂は中之島美術館で一昨昨日の1月14日(日)までやってたんだけど、残念ながら後の祭りですね。

 ちなみに昨年の7月28日と言えば、東京地方は最高気温35℃を超える猛暑日。カンカン照り、とまでは言わないでも、まあ暑いなか六本木に行くことに。金曜土曜は20時までやっていたので、なるべく遅い時間に観たかったので先に近くのサントリー美術館へ行き (そちらは別項で) 、その後、17時頃到着。

 だったんだけど、17時でもそこそこ混んでいた。

 六本木であることも含め、上野とかでやる展覧会より、明らかに女性・若者の比率が高かった (展覧会内容はシブメなのにもかかわらず) 。あと夏休み中かつ六本木らしく金持ちが住んでる住宅もそれなりにあるロケーションから、意外にも子供が多くて (まあ他の美術館では滅多に観ない) 、ちょっとウザかった。もちろん子供の情操教育?とやらにも良いことだろうし、走り回ったりまではしてなかったんだけど。

 で、展示会の内容について。ちょっとテーマ設定が無理矢理過ぎじゃないかというのが正直な感想。

 『TATE (テート) は、英国政府が所有する美術コレクションを収蔵・管理する組織で、ロンドンのテート・ブリテン、テート・モダンと、テート・リバプール、テート・セント・アイヴスの4つの国立美術館を運営』ということで、そこからテーマに沿った作品を借りたのかもしれないけど、雑然とした感じは否めず。

 そして肝心のターナーのちゃんとした絵?は (たぶん) 4枚だけだった。ん~、看板に偽りありと言っても過言ではない? (デッサンのようなものはたくさんあったけどね)。

 ジョセフ・ライト (別名?の「ジョセフ・ライト・オブ・ダービー」と表記されてた) のヴェスヴィオ火山の噴火の絵とか、上記のジョン・コンスタブルの作品、ジョン・エヴァレット・ミレイの作品、などイギリスの絵画だけではなく、モネやシスレーなどのフランス印象派の作品、さらに草間彌生などの現代アート作品まで、テーマに沿っているちゃあ沿ってはいるけど・・・

 まあ結論から言えば『光』って、大抵の美術作品が括れるテーマじゃん。なので結局、雑多な感じが残るんだよね。せっかくテート美術館から借りてくるなら、18-19世紀辺りの英国絵画だけをもっとまとめて観たかった、というのが正直な感想。

 

 

 なお。

 国立新美術館に行くのは実は初めてだった。2007年オープンなんだけど、2008年くらいに美術館巡りを私はいったん止めていたので (団塊の世代の人たちが現役引退したてだったからなのか、どの美術展に行っても、平日にもかかわらず今以上にメチャクチャ混んでいたのに嫌気がさして止めちゃったんだよね) 、行く機会が無かったんだけど、黒川紀章設計の、ちょっとバブリーな建物。ガラス張りで曲面が主体の外壁、横長の地上4階の建物なんだけど、その横長の部分が吹き抜けになっているエントランスなど、まあ展示スペースに対して無駄に建設費が高かったと思わせる感じが、2007年完成なのにバブリー感を醸し出している。

 なので2023年にはちょっとダサく感じる建物というのが正直な感想。まあ、逆に品がないのが六本木にふさわしいのかもね。

SOMPO美術館で『ゴッホと静物画―伝統から革新へ』を観る

今回展覧会のキー・ビジュアルの1つ、フィンセント・ファン・ゴッホ 『アイリス』。SOMPO美術館ご自慢の『ひまわり』と同じくらいデカい。

 

 半月遅れだけど2024年、最初の書き込み。

 昨年(2023年)行った展覧会について全然書き切れていないのは既に何度も書いたんだけど、開催中の展覧会を優先してレビューを書いてゆく方針なので、まずは今年、最初に観に行った展覧会について書くことに。

 ということで、1月11日(木)、SOMPO美術館で『ゴッホ静物画―伝統から革新へ』を観に行った。同館にて1月21日(日)まで(つまり来週の日曜まで!)開催中

 事前予約の入場制限があり、どのくらい制限しているのか分からないけど、私は混んでいる展覧会が苦手なので、入場制限があった方が気分的に助かる。前日に14:30~15:30入場の枠を予約し、15:00くらいに入館。

 そこそこ混んでいたけど、不快なほどではない(前項の、悪夢のような上野の森美術館のモネ展ほどでは全く無い)。

 そして不思議なことに老若関係なく、女性客が圧倒的に多かった(私が観た枠に限った話なのかもしれないが)。8割方は女性だった(ような気がする)。なんで?映画みたいに女性サービスデイとかだったのか?まあ男ばっかりより全然良いけどね。美術館に来る女性って大抵、センスあるカッコで来てるから目の保養になるし(オジサン目線!)、女性の団体客になると不思議に傍若無人の行動を取る人が目立ったりしてウンザリしたりするけど、団体客はいなかったので総じて行儀良い。

 もとい。

 この展覧会は素晴らしかった!会期の残りは短いけど、ぜひお勧めします

 静物画だけだとは言え、こんなにまとまってゴッホの作品を観られるってちょっと感激。というか主催者に感謝。

 ゴッホってやっぱりどこか奇矯で危険でヤバい孤高の天才、っていうイメージあるけど、何気ないような静物画てもちゃんと普通に上手い。もちろん、『上手い』に留まらない、タッチとか色彩、構図とか普通に図抜けてる(普通に図抜けてるって変な言い方だけど)。

 狂気じみたことが強調されるけど、それだけの作家じゃない、というのが改めて分かった。

 ついでに。

 展覧会自体はゴッホを中心に、近代~現代の静物について考える、というもので、他の作家の作品もそれなりに展示されていたけど、モネの暖簾っぽい対になった作品【下写真参照】(ポーラ美術館収蔵/この展覧会は基本、オランダから借りた作品中心だったけど、日本国内にあるものも集めて展示していた)なんかも観られて、ちょっと得した感じになった。

 

 ということで2024年最初の美術館巡りはこの展覧会で始まったんだけど、残念なことが一つ(美術展自体が悪い、という意味ではありません)。
 入場前に手荷物検査させられました
 初めての体験。
 環境テロリスト?の本場?のオランダから借りてるから、そちら側からの条件だったのかもしれないけど、最初はびっくり!『液体の入るものをチェックしてます』と言われ『ああ、あのトマトジュースとかかける軽薄テロ防止のためか』と合点が行ったけど、こういう屁理屈で装飾された悪意が、ムダなコストアップを生んでるかと思うと、そこそこ腹が立ったな。

上野の森美術館で『モネ 連作の情景』展を観る

モネ 睡蓮 1897-98

 観に行ったのは12月8日(金)。東京は上野の森美術館にて。

 これは失敗した・・・ともかくメチャクチャ混んでいて、入館早々、観る気が失せて、20分くらいしか滞在できず。比較的空いているという説がある金曜の夜、17:00~17:30入場で予約したんだけど、私が絵を観られる状況ではなかったな。

 本当にヒトゴミが苦手なのですよ、私。

 こんなに混んじゃうと、聴きたくもない他人の話し声とかも聴こえちゃうし・・・

 大好きなモネ作品が75点も集められていて(1/3くらいは日本各地の美術館からのようだけど)、めちゃ期待して観に行ったんだけどね・・・

 非常に天気の悪い日に観に行くことをお勧めします(私が行った12/8は、冬なのにちょっと暖かく、快晴でお出かけ日和だった)。

 ということでザックリとしか観なかったけど、基本的にはモネの風景画、それも連作(睡蓮とか積みわらとか)を切り取って展示。まあ連作はその名の通り、本当にたくさんあるので、連作を網羅的に、とかいうワケにも行かず、なんか中途半端な印象を受けた。

 まあそれもこれもちゃんと観られなかったセイではあるけど。

 

 展覧会自体は、上野の森美術館での開催は来年(2024年)の1月28日まで。2月10日からは大阪中之島美術館で5月6日まで。ともかく少しでも条件の悪い空いてそうな日を選んで観に行くべき展覧会だ。

国立西洋美術館で『キュビズム展 美の革命』を観る

 しばらくBlog書くのをサボってました。

 2023年はかなり多くの美術館を訪れ、このBlogで(どんなに簡単にでも)報告しておこうと思っていたんだけど、バックログは増える一方。ともかく実際に観る方が重要、という方針で来たけれど、感想をまとめておかないと右から左に忘れちゃいそう。

 ということで、2023年も年の瀬になってしまったけど、とりあえず今年訪問した美術館、美術展について(まだ開催中の展覧会を優先して)簡単なレビューを書いてゆく予定です。

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画像:パリ市

今回展覧会のキー・ビジュアルの1つ、ロベール・ドローネー『パリ市』。267 x 406 cmとかなりの大作。 

 

 まずは今年(2023年)私的にはもっともインパクトがあった展覧会の一つ、『キュビズム展 美の革命』について。

 観に行ったのは12月1日(金)、国立西洋美術館にて。同館では2024年1月28日まで開催コルビジェの画業の方にも触れている展覧会なので、国立西洋美術館での開催は中々趣深いし、ともかくこんなに大量にピカソやブラックがキュビスムを確立する時代の作品がまとめて来るのは(パリ・ポンピドゥーセンターの改装時の)今しかないと、山田五郎パイセンがYouTubeで言ってました。一応参考まで。

【キュビスムって何?】始まりはピカソじゃなかった!?「キュビスム展」コラボ企画 - YouTube

 ともかくお勧めです。来春(3月20日)からは京都で開催されるので関西方面の方はそちらへどうぞ。

 ピカソやブラックがキュビスムを確立する時代の作品がまとめて15点くらい展示されているのには圧倒されたし、上に映像を貼ったのロベール・ドローネー『パリ市』はデカくて、形態はキューブで構成されているのに、色彩があふれ出ている。実物を見るとすごくポップな作品で、これまたぜひ観た方がよい作品(繰り返しになるけどともかくデカいので現物見ないと分からないと思う)。

 シャガールキュビズム・インスパイア時代の作品とかも中々レアで楽しめたし、ともかく100点以上のキュビスム作品を一気に観られるのは本当に得がたい体験。ちょっと疲れるけどね。

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さて同時開催の小企画展(常設展示の中で、国立西洋美術館収蔵作品で企画されている/キュビスム展のチケットで観られる)も面白かった。

パンフレット

ジョン・エヴァレット・ミレイの描く子供は本当にカワイイというのは知っていたが、ウィリアム・アドルフ・ブーグロー(ポスター左側の絵の作者?)はこの展覧会まで私は知らなかった。19世紀のフランスアカデミーの画家って、当時は本流だったけど、印象派の登場以降、一回忘れ去られたようだけど、現在は再評価されているそうだ。というわけで委託含め国立西洋美術館では7点収蔵。忘れ去られている時期に買ってたとしたらすごいんだけどね。

普通の常設展でもモネが5点くらいあったりして、ここはいつ来ても本当に良い美術館だと思う。