ハトコのたわ言

趣味に生きる隠居のたわ言集です

2024/01/23『サン・セバスチャンへ、ようこそ』を観て

 先週の火曜(1月23日)、立川シネマシティにてウディ・アレンの『サン・セバスチャンへ、ようこそ』を観た。

 2017年発端のミア・ファーロウの息子からの言いがかり&蒸し返し事件から「干されていた」に等しいウディ・アレンの新作が日本で公開されたことは、ウディ・アレンファンの私(ほぼ全作観ている)としては実に喜ばしい出来事(それについては後述)

 この作品は(アレンの作品の中では)それほど傑作と言うほどのモノではないが、ちゃんと笑わせてくれるし楽しめる作品でもある(もちろんそれにはそれなりに知識や教養は必要だけどね)。

 以下ネタバレあります。(ネタバレが決定的な意味はなさないと思う映画だと思うけど念のため)

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 ちなみに原題は『Rifkin's Festival』。

 Rifkinというのは、映画学の教授で小説を書けない作家の主人公の名前。こういう映画のタイトルを日本語題にするのって本当に難しいとは思う。思うけど、ちょっと違うよな~とも思うんだよね。

 確かに『リフキン』と言われて人名(ユダヤ系?)だとすぐに分かる日本人は少ないし、サン・セバスティアン国際映画祭 (主演作が出品されたので大泉洋が2019年に訪れていたりする)の方が日本的には有名だとは思う。

 だけど、『フェスティバル』は彼の「脳内フェス」(フェリーニベルイマンなど様々なヨーロッパ映画のパロディ的引用で構成されている、主人公が夜な夜なうなされる悪夢)と、映画祭であるフェスのダブル・ミーニングになっているから、『サン・セバスチャンへ、ようこそ』としちゃうと意味が・・・

 まあ別案も浮かばないので、いかんともしがたい問題だとは思うけど。

 

 もとい。

 さて、この映画について語るなら、その「フェリーニベルイマンなど古典的な作品から仏ヌーヴェルヴァーグの作品などのヨーロッパ映画からの引用」部分に言及すべきなのかもしれないけど、正直、元ネタはそこまで分からない。死神のシーンがベルイマンからの引用だというのは、他のアレン作品でも出てくるので知っていたくらい。

 

 それよりも。

 この映画を観て思い出したのはアレンの『スターダスト・メモリー(原題『Stardust Memories』1980アメリカ/1981日本公開)。今から40年以上前の映画。

 アレンが映画監督として世に出たのは、『泥棒野郎』(1969年公開)から始まる『 ウディ・アレンのバナナ』『SEXのすべて』『スリーパー』など、ドタバタ色の強いコメディ。

 その後、コメディとシリアスな恋愛モノを融合させたロマンティック・コメディの代表的作品『アニー・ホール(1977アメリカ/1978日本公開、1977年アカデミー監督賞受賞作。私が最も好きな映画の1本で、コレを観てからずっと彼のファン)が転機となって、『インテリア(1978アメリカ/1979年日本公開、彼が初めて作った、当時の観客ドン引きするほどド・シリアスな作品)、『マンハッタン(1979アメリカ/1980年日本公開、再び大絶賛のロマンティック・コメディ。私も大好き)と続く。

 で、その次の作品が『スターダスト・メモリー』。

 なんで思い出したかと言えば、この作品も映画祭が舞台となっている(正確に言えば『スターダスト・メモリー』の方は、週末に都心近郊の避暑地で行われる、主人公である映画監督作品の『回顧展』的なフェスなんで、いわゆる『映画祭』とは違うっちゃ違うが)。

 そして映画そのものについての物語であると言うところ。

 さらに言えば『スターダスト・メモリー』は過去/現在/未来を象徴する3人の女性が出てくるんだけど、この『サン・セバスチャンへ、ようこそ』でも初デートの相手である義妹、映画広報担当の、そしてスペイン現地で知り合った女医と出てくるなど、割に対応している部分もあると思う。

 しかし。

 『スターダスト・メモリー』でアレン自身が演じている主人公と、この映画の主人公の立場は全然違う。

 前者の主人公は映画監督、この作品の主人公は映画研究家(大学で映画を教えている、っていう設定。映画の作り方を教えてるわけではなさそうで、映画の解釈とかそういうのを教えているんだろうな、と想像)

 前者は自作の映画について悩み、後者は小説が書けないことについて悩む。

 つまりこの作品の主人公は作る人(作れる人)ではなくて、評論する人。そこが決定的に違う。主役を諦めた、脇役的な人生。最後は、女医への執着?から降りているし。

 なんだけど。

 過去のアレンの作品で言えば、こういう作れない人に対しては突き放したり、割に冷たい描写をすることが多かったと思うんだけど、この映画はそうじゃなかったのにちょっと驚いた。

 作れない、評論家的な人生を送るこの作品の主人公の描き方がそれなりに前向きで暖かい。もちろんアレンの映画は肯定的な終わり方をする事が多いが、この映画を観た後の感じも非常に良かった。

 あと。

 『スターダスト・メモリー』では、宇宙人にすらドタバタ・コメディの「ファニームービーを作れ」と言われていた(自虐的に描いていた)アレンだけど、それから40年以上、ド・シリアスな作品もたくさん作ってきた。

 なので、ド・シリアスなヨーロッパの古典的作品から引用をしても、ちゃんと自虐的なネタとしても成立していて、40年以上の年輪を感じさせてくれた。

 

 あ、ちなみにAmazon資本で作った、『カフェ・ソサエティ(2016アメリカ/2017日本公開)でデジタル撮影になってから、映画館で観ても、なんかテレビっぽい平面的な画像になって閉口していたんだけど、この作品ではちゃんと映画っぽい、奥行きのある画像が復活していた。ここは今後に期待できる!(年齢的にあと何作作れるかどうかは不安だけど)

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 さてこれからは自分自身への覚書のようなモノ。

 日本語のWikipediaでは(2024.1.31時点)、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ暴露をきっかけに起きた「#MeToo」運動でハリウッドから干されていたウディ・アレンが、沈黙を破って自伝の出版を発表する』とあるけど、そもそもアレンはハリウッドだけで映画をとっていなかったので、明らかにヘンな内容。

 そもそも、ちょっと前からアメリカでは資金を出してくれる映画会社がなくなって、ヨーロッパの資本で映画を作っていたりした(アカデミー脚本賞を取った『ミッドナイト・イン・パリ』2011スペイン/2012日本公開ーですらスペイン資本。まあこれがヒットして、アメリカ資本に戻った)

 で、2015年くらいからAmazonが大々的に資本を出して、TV的なシリーズ作品も含めて再びアメリカでだけ撮影するようになったけど、2017年以降、#MeToo運動でAmazonと揉めて裁判になって『干された感じ』になった、というのが正しいと思う。

 ということで、分かってること時系列的に並べ直して記しておくことにした(自分でWikipediaを直すのも面倒くさいので)

■『カフェ・ソサエティ』 Amazon資本 2015撮影 2016アメリカ/2017日本公開

■『女と男の観覧車』 Amazon資本 2016撮影 2017アメリカ/2018日本公開

■『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』 Amazon資本

 2017撮影 2019海外/2020日本公開

 ※お蔵に入りかけ アメリカでは公開されず

  2017年秋#MeToo運動でAmazonが公開無期限延期

  Amazonが賠償金支払で和解 2019海外で公開開始

■『唐突ながら: ウディ・アレン自伝』(原題『Apropos of Nothing』)
 2018年~2020年執筆? 2020アメリカ/2022日本発売

※映画ではなく、本。Amazonとの裁判で映画制作が止まって時間ができたので書いたようである。私は買ったんだけど積ん読で未読。

■『サン・セバスチャンへ、ようこそ』本作

 2020撮影 2022アメリカ/2024日本公開

 ※もちろんAmazon資本は入らず。

  (以前のように)ヨーロッパの資本で作ったようである。

  上記の自伝のゲラを読みながら作っていたみたいな記述がある。

■『Coup de Chance』2022撮影 2023フランス公開
 ※全編フランス語の作品らしい。日本での公開は来年(2024年)だと思われる。

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 繰り返しになるけど。

 80歳を越える老作家に対して行われた、2017年くらいからの『言いがかり&蒸し返し事件』は本当にむごいと思う。毎年のように映画を撮ってきて、あと何作作れるか、という時期に行われた非道な仕打ち。

 アレンには、それを乗り越えて得られた残りの時間で、一作でも良い作品を撮って欲しいと私は心の底から願う。

 あと、自伝『唐突ながら: ウディ・アレン自伝』を早急に読まなければ!