ハトコのたわ言

趣味に生きる隠居のたわ言集です

映画「出口のない海」を観て

出口のない海

わが敬愛する山下達郎のカミさんであるところの竹内まりやが主題歌を歌っていたり、知り合いの女性が机を叩かんばかりに力説していたので原作を読んでから観に行った。ちなみに平日の昼間だったので、広くもない我が地元の池袋シネマ・ロサの客の入りは10%くらい。


で、感想なんだけど、難しいテーマ(右に振れるとニッポンバンザイになっちゃうし、左に振れると軍国主義の非人間的な部分が強調される、まあどっちに振っても別にいいんだけど)を、(これは原作から既にそうなんだけど)主人公が最終的に回天に乗る意味は、後生の人に、人間を装置に組み込んだ、こんなにもバカげた兵器があったということを伝えたい、という主人公の発言でクリアして、そしてそれは十分に伝わったという意味では良い映画と言える。

 

※ここから先は、映画を観る前に読まないことをお勧めします。

映画としては、リアルタイムで見せる回天という人間魚雷をつんだ潜水艦の戦いと、過去の出来事を交互に出して、それが不自然じゃなく、巧みな脚本だと思う(原作は出来事が起きた通りにストーリーが進んでゆくので前半がかったるい)。

が、しかし、エンディングはいただけませんでしたね。生き残った回天の整備員が、21世紀の今現在に、当時主人公とキャッチボールをしていたボールを海に投げ入れるエンディング。
本当に最近の映画のエンディングは余分な部分が多すぎる!主人公が乗って、訓練中に座礁した回天が台風で出てきて、引き揚げられる。ハッチを開くと主人公の死体がそのままに写る。そして座礁中の主人公が酸素不足の中で書き残した手帳が読まれながら、敗戦後の家族や恋人の姿が描かれ、そしてそれらを書き終えて、主人公は眠るように息絶える。息絶えた主人公からカメラが引いて行き、海の中までも引いて行き、ただ青い海が写って、それで暗転して終わり。そう、この映画はこうして終わるべき。竹内まりやの主題歌がそこに流れだす。それでいいじゃん。21世紀の今現在なんて描写する必要は全くない。ホント、こういう、なくていいエンディングの映画が多すぎるよ。
それで、そこまで良かった分が帳消しにされて、少し怒って映画館を後にしたわけだ。