ハトコのたわ言

趣味に生きる隠居のたわ言集です

<番外編> 「暁期ロマン派」と呼ぼう!

私のこのブログのメインテーマである、音楽の「分類」としては「クラッシック」になるけど、有名指揮者や楽団がレパートリーとしてほとんど取り上げない、19世紀から20世紀にかけてのメロディーがあるオーケストラ音楽について、何かいい呼び方はないかと、常日頃(というほどじゃないけど)思っていたんだけど、この際、こう命名することにした。

暁期ロマン派」(ぎょうきろまんは)と呼ぼう!

「暁」は「あかつき」の意味。おおざっぱに言えばベートーベンがロマン派を始めて(「初期ロマン派」だなわ)、シューマンショパンブラームスが「中期ロマン派」。ワーグナーが出てからブルックナーマーラーが「後期ロマン派」。シェーンベルクの初期(「浄められた夜」とか「グレの歌」の頃)が「晩期ロマン派」(こんな言い方もせんか)、で無調や12音技法、さらに前衛というか実験的というかそういう「現代音楽」が「ロマン派」を絶滅させるに至るわけだ。まあ、作曲家の生きた年代や作品の作曲された年代と、「××ロマン派」というのはリンクしないんだけど。

実際は、そういう実験的手法(私はそういう作品をバカにして「実験的」と書いている)の時代にも、普通にメロディがあるクラッシック系の音楽を書き続けた人たちがいて、私の、この「無名名曲アルバム」で取り上げるのはほとんどそういう人たちの作品で、第二次世界大戦以降は、ずっと(世間的というか音楽ジャーナリズムというか音楽学校出身の作曲家たちに)「時代遅れ」とバカにされ続けてきた。そしてそれは今もそうなのかもしれない。

しかし、それは逆に新しい時代への先駆けである、と私は評価したい。だって「実験的な音楽」って一言で言えばつまんないじゃない。表面的には死に絶えたような、「夜の時代」にも生き残り、(私だけかもしれないけど)再評価され、これからの、特にオーケストラ曲で、新たに作り出される、親しみやすく、リリカルであったり、ロマンティックであったり、派手だったり、景気が良かったりする音楽。それは、まさに「夜明け」を意味する「暁期ロマン派」と言うべきだろうと思う。

まあ、「暁期ロマン派」っていう命名は、生物学(地質学か)上の「暁新世」という言葉も下敷きにしたんだけど。「暁新世」とは中世代(おおざっぱに言えば恐竜の時代)が終わって、新世代(おおざっぱに言えばほ乳類の時代)の始まった最初の区分を言う。恐竜のような実験音楽が去り、細々と生きていたほ乳類が時代の主役になる、その「暁新世」をイメージした言葉なんだけどね。

ということで、これからこの言葉をバンバン使うことにしたい。